『じんのひろあき 映画脚本解析講座シナリオパルプンテ』
26日15時の回 劇場版『ガンダム』編について。

 今回、シナリオパルプンテ再開第一回目に扱うのは『機動戦士ガンダム』劇場版三部作の『1』と『2』です。
 映像の上映はいたしませんので、あらかじめ見てきてください。

 シナリオパルプンテの基本はできあがり上映されている映画から、元々の脚本はどういった試行錯誤で書かれているか、その時になにが取捨選択されただろうか? といったことを考察するものです。

 講座の対象としているのは、物語を紡ぎたいが、どう考えればいいのか、なにから手をつけていけばいいのか? 物語を伝達するためにはいかなる方法があるのか? といったことを勉強したい人向けであり、逆に映画の解説として主題がどうなっているのか、そこで描かれている人間関係の機微が、といったことについては触れません。

 よって、今回の『ガンダム』においても「ニュータイプ」がどうとか「ザビ家」の兄妹がどうとか、二足歩行のロボットはどうなのか、とか、はたして『ガンダム』をSFと呼んでいいのか? といったことについてはまったく触れません。

 ではなにをやるのか? をさわりだけ説明します。
 
 冒頭のナレーションがあります。
 「人類が増えすぎた人口を~」というあれです。
 物語を始める時に、こういったナレーションないしは字幕によって(私は好きな言葉ではありませんが)世界観を説明する、といったことはまま、あります。
 ぱっと思いつくだけでも『スターウォーズ』や『ブレードランナー』などがそうでしょう。
 そして、この『ガンダム』が放送された同じくらいの時期に劇場公開された『銀河鉄道999』もまた冒頭は字幕で始まっています。
 が、これらの字幕による説明と『ガンダム』の冒頭のナレーションはまったく違います。
 尺にしてわずか1分の少しの間に、このナレーション内に「宇宙に移民させるようになって半世紀」「一ヶ月の戦いで人口の半分」そして「戦争は八ヶ月の膠着」という三つの時間が内包されています。
 「宇宙に移民させるようになって半世紀」という科学の進歩とこの物語の始点となる時、さらにはそこで最初に示された「移民させる」ほどのこの先待ち受けている明るい未来を180度裏切る「人口の半分を死に至らしめる戦争」が起きる、ということ。
 ここで脚本を作る人間が考えなければならないのは、代入される数字が物語を伝達するにあたって、どういった数字が適正であるか、ということです。
 物語にとって適正というのは、どういう数字が1番ドラマチックであるか、ということです。
 人類が宇宙に移民させるようになって30年。50年、100年。と、様々な数字を検討してみなければなりません。ここで思いつきやなんとなく、ではいけません。
 『AKIRA』が持っているリアリティは2019年ではなく、新しいオリンピックがまたも、もうすぐ開催されるらしい。という点にあることも同じことです。
 そして『ガンダム』では、次に不幸が起きますが、はたして「人類の半数を死に至らしめる」のにフィクションが必要な時間とはいったいどれくらいでしょうか?
 たとえば、二年かかって人類が半分になる、と、設定します。
 人類が半分になることは確かにドラマチックです。しかし、二年かかれば「まあ、半分になっちゃうかもね」という逆の納得が起きた時に、そこでの悲劇性は薄まってしまいます。
 ここで、明るい未来を裏切るために必要な時間は「まさか、そんな」という「一ヶ月の戦いで」という「そんなに短い時間で?」という衝撃を伴った時間の提示なのです。
 さらに、普通の物語であるならば、ここまで説明すれば充分ドラマチックであり、この後すぐに前置きはそこまでにして物語が始まる、つまり主人公の紹介に進んでもいいのですが、よく考えてもらいたいのは、この「一ヶ月で半数が死んだ」というナレーションのすぐ後に展開が予想されるのは、がれきの中の主人公達のかろうじて生き延びた生活です。
 しかし、それで始まるとこの物語でやりたいアムロレイという主人公の内向的な面を描くことが難しくなります。
 なにせ、アムロレイはさっきナレーションで説明された「一ヶ月で人口が半分になった世界」を生き残ったサバイバーなのですから。
 とうぜん、彼は「生き残った強い」または「運が良い」人間である、と観客は思い込んで、の物語のスタートとなります。
 それでは、そもそものこの『ガンダム』で描こうとしている主人公は作り手の思いとは違った印象からスタートしてしまうこととなります。
 よって、ここで三つ目の時間「戦争は硬直状態に入って八ヶ月が過ぎた」が必要となってくるのです。
 ここでもまた、脚本を作る人間は考えねばなりません。この「八ヶ月」が1番妥当な数字なのか?
「三ヶ月」ではどうか「半年」ではどうか「一年」ではどうか、はたまた「三年」ではどうか?
 膠着し、アムロ達が戦時下においてそれなりの日常を取り戻すには、どの数字が妥当だろうか? 脚本家が考えなければならないのは、ここです。
 このあたりを「だいたい、まあ、半年くらいだろう」と「膠着状態は六ヶ月」というように適当な数字を代入してしまうと、詰めが甘くなります。
 そもそも「半世紀が過ぎている」のに、それから「半年経った」では、言葉を綴る者として、あまりにもひねりがなさ過ぎませんか?
 「八ヶ月」中途半端です。
 でも、この中途半端がリアリティを生む、ということに気づかねばなりません。
 これが「一年後」にした時に、ある種の物語の語りの部分において「落ち着き」が出てしまう、ということに気を遣うべきです。

 まさか、そんな『ガンダム』の冒頭一分のナレーションでここまでの話になるとは思ってもいませんでしょうが、この私のパルプンテではこういったことを、まるで重箱の隅をつつくとはこと、と思われるかもしれませんが、こういった細部にこそ物語の神は宿るのです。

 という話をしていくと、この文の最初に、今回テキストで使うのは劇場版『ガンダム』『1』と『2』です、と言いはしましたが、全部を解説するには時間が足りませんから、こういった脚本を書く人間にとって、なにが物語の毛細血管となるのか、の話をかいつまんでしていきたいと思っています。
 ということなので、『ニュータイプ』がどーたら、というところまで話をしている暇がない、ということなのです。
 
 脚本だけでなく、漫画、漫画原作、演劇の戯曲、小説、などを執筆している方の参考にもなるはずなので、是非、いらしてください。

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